北通りの難所「木野部峠」は今から200年以上前の文化年代に大畑村赤川と風間浦下風呂の村人が人足として請負い苦労の末開通させた。以後昭和10年9月には下北乗合自動車株式会社がバス運行を開始したものの、維持管理等苦難の記録が残されていると聞いている。この旧道は一部は林道等として使用されながら現在も残っている。(次回に記載)
木野部峠は大間鉄道とも大きな係わりを持っている。大間鉄道(着工1937「昭和12」年)は軍事が大きな目的であったがそれだけでなく、下北北通地方の経済発展と生活向上に向かっての大きな希望であったが労働力と建設資材不足等で建設中止に追い込まれ、ついに1943(昭和18)年12月に希望の灯火が消えた。
大間鉄道の工事が中止された後の1947(昭和22)年に下北バス株式会社が鉄道省か木野部トンネルの通行権を与えられた。
木野部トンネルは大間鉄道の第二期工事として着工され、釣屋浜から木野部に向かって長さ430メートル程の第一トンネル、この第一トンネルは直線であったため暗さはそれ程感じることなく歩いた記憶がある。このトンネルを抜けると100メートル程は雄大な津軽海峡と赤い岩礁を見ることができた。こんどは850メートルの真っ暗い曲線トンネルで、その中間点には「メガネ」と呼んだ灯りとりの場所があり、その真上を高さ20メートル程の滝があった。流れ落ちている場所は入り江になっていて父と磯舟で漁に出かけたときの休憩地で、そこで食べた「飯ごう飯」「アワビ」「ウニ」そして流れ落ちる「水」の味は今でも忘れることのできない。
ここから先のトンネルを進むに1メートル程の棒切れを、トンネル内のコンクリートに触れさせて自分の位置確認をしながら、暗さの恐怖と冷気に耐えて進んだ記憶がある。
現在、このトンネルは釣屋浜、木野部側とも安全上からコンクリートで閉ざされ周辺も岩礁崩壊している。~「戦争・文化遺産」忘れ去られるのか。
旧道・木野部トンネルに変わって1959(昭和34)年10月3日に峠が新県道として開通。
以後、1970(昭和45)年4月1日には県道むつ大間線が国道279号に昇格し、1959(平成8)年から急カーブ、急勾配区間の解消を目的とした(二枚橋バイパス4,1キロメートル)改良工事行われ直線化し一部供用開始している。(直線化により急カーブ山側、海側とも4箇所が残存)
現在の木野部峠区間における下北交通バス停留所は「釣屋浜」「木野部峠」「赤岩」の3箇所で、一日8便が運行されている。
現在は国道279号橋梁整備(二枚橋2号橋)工事がH.20.9.1からH.22.2.,28まで、工事費247,800,000円で施工されている。
この木野部峠には様々な思い出があります。
1 春から秋までは坂道を利用してのハードなトレーニング場所であったこと。
2 冬期間は山スキーで楽しんだ場所であったこと。(木野部峠に釣屋浜の人々が畑を耕した「長坂」 と言う場所)
3 アケビ、山ブドウ、コクワなど自然の恵みが待ち遠しかった場所であったこと。
4 見渡す絶景による癒しの場所であったこと。
気がかりは、昔も今も人家から離れた場所であることから「ゴミのポイ捨て」が多いこと。美しい自然を次世代に残すには一人一人の小さなやさしさの実践。
遠くに黒森山が見えます。(ここは北見台で手前に木野部峠のバス停留所が有ります)
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