2010年9月アーカイブ

| コメント(0) | トラックバック(0)

地表の70%を占め、風による波・塩化ナトリウム84%の海水・太陽熱による海水温度・時計回りと反時計回りの海流・毎日二回ある海水面の高さ・電離したイオンで青緑色をした海原・進化し続ける生物を抱えた命の源などの区域を称して海と呼んでいるのでは。

こんな海に、人間活動による埋め立てや水質の変化で原因不明の奇形が目立ち始めたカブトガニ。地球温暖化の影響と思われる水温上昇によって、栄養分の豊かな海域が縮小・移動により(メバチマグロ・カジキ・サンマ・鮭・シラスなど)漁獲量の激減や地域経済にも影響を与えているなかで、大気中の二酸化炭素濃度が上昇し海に溶け込む量が増えることによって、海水のアルカリ度が低くなる海洋酸性化現象が進んでいるとか、加速すればサンゴは骨格を貝などは殻を作ることが難しくなるとか。

地球が泣いている。このことに私達人間は共通認識を持ち「山と川と海」が一体であることの取り組みが急務である。一人一人が自分の周りの出来る小さな事から実践。

P1010308_500.jpg

先般、日本海洋センターが意識調査した中で「海が好き」と答えたのは全体で70,3%(前年比2,7ポイント減)で、年齢別で最若年層の10代が58,8%と前年から7,9ポイント減少したようだ。10代が海を嫌う理由は「日焼け」「海や砂が汚い」に集中しているようで、海嫌いが拡大している調査結果

津軽海峡の沿岸沿で暮らす私達は、自然の猛威だけを見せ付ける一方的な海でなく、癒され・開放感と懐の深さを持ち合わせた安心感が命を繋ぐ源となって来た海である。その海に四季折々の風がささやく、これこそが心に残り次世代に引き継ぐ大切な財産なのです。

8月上旬に二枚橋小学校児童3人と自然の家まで歩き(わくわく歩き)、風景をみたり冒険の森や海岸で遊んで帰るさえに、今日一番楽しかったことは何だったかの問いに「海で遊んだこと」の即答が。原風景が残る美しい海に感謝です。海を見てどんな夢が広がっていくのだろうか。

P1010298_500.jpg

海がわく(魚群が集まっているという意の漁師言葉)日々が永く続くことを願っている。

P1010051_500.jpg

 

 

 

流れる雲を背中で

| コメント(0) | トラックバック(0)

歩く走るコースの設定は四季折々の自然条件、体調、時間帯などにより決定しているが、今回は南から吹く心地よい秋風を真正面に受け、「流れる雲を背中で」見送るコースを考えずに足の向くままに進むことに。

二枚橋坂を上りバイパス用地の涌舘遺跡発掘現場、左側に大畑漁港、真正面に釜臥山に大尽山が見える湯坂を過ぎ、深山、高橋川集落、添木、小目名集落に着いた所で、澄み渡る青空を仰ぎ様々な形の雲の流れを確認し、足は薬研温泉郷方面でなく大畑川に架かる古い小目名橋を渡り小目名沢方面に。

この道の一部は東北自然歩道(渓流の男性美と新緑・紅葉を楽しみ自然のすばらしさを堪能できる道9,3km)として整備されたが、現状は湧水を汲みにくる程度の利用で薬研橋までの景観を楽しむどころか荒れ放題、新幹線開業が真近だというのに。

この暑さの中でも樹木の日傘は清涼感の効果は抜群です。砂防ダムから少し上流に絶壁の岩山がありこれを「冠岩」という。江戸時代の紀行家(菅江真澄1754~1820)が赤川不動の滝・赤川ちぢり浜と同様に景観の見事さを堪能し、岸辺の岩の上で弁当を食べ酒を飲み漢詩をつくりながら時を過ごした(寛政5年「1793、7,26」)場所である。

P1010409_500.jpg

イワナ・ヤマメが棲み鮭が遡上する小目名沢の水で体を潤し、しばし道端に腰を下ろし緑から紅葉に変身する空気を取り込み、雲が流れる方向に足が。

 

 

 

 

北国に小さな秋

| コメント(0) | トラックバック(0)

残暑が例年と比べて厳しいとは言え、一雨ごとに北国に小さな秋の気配が感じられるようになったこの頃、暁風(げうふう)が心地よく吹く海岸を散歩。

P1010390_500.jpg

海原の八方に注ぐ光線も柔らかさが感じられるようになり、日焼けもこれまでか。

P1010392_500.jpg

道端には銀の穂を揺らすススキに、色鮮やかなコスモスに足を止め漂う命の重みを実感。

P1010403_500.jpgP1010406_500.jpg

短い生涯を秋日和のなかで懸命に生きる赤トンボ。見ることのできる幸せ。

            P1010412_500.jpg

秋を連想する一つに、秋晴れの空は高く澄み渡り「天高く馬肥ゆる秋」とも、また、黄金色に色付く稲を見て「食欲の秋」・月や星を見ながらの「読書の秋」・好適な気温での「スポーツの秋」・・・・・・・・・・にぎやかな季節であるが朝寒夜寒が段々とつのっていく時の流れは、一年の生活史の終結を迎えると同時に新たな年への心準備も必要な季節でもあるが、実り、収穫、紅葉の秋を堪能したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茶褐色の津軽海峡

| コメント(0) | トラックバック(0)

長引くスーパー残暑の出口が見えない状況が続いているなか、先般(9月6日・7日)は台風が温帯低気圧となり青森県を通過した。大畑管内でも通常の低気圧では考えられない雷・稲光に豪雨(173mm)に見舞われ、国道の決壊と冠水があった。

異常気象の影響で残暑が今後も続けば当然のように海面水温も高く、発生した台風の勢力が衰えることなく日本列島に接近する可能性が高く、厳重な注意と危機管理への対応が必要。

二枚橋地域も一部国道の土砂くずれと「山」が荒れている状況が一目で確認できる光景が。下狄川に山肌を削って流れる茶褐色の水。アメマスにイワナ・カジカは隠れる場所を見つけただろうか気懸かりです。

            P1010397_500.jpg            

    

  P1010396_500.jpg

同様に二枚橋地区公民館付近を流れる中川目沢からの川水。

                P1010398_500.jpg

                P1010400_500.jpg

この茶褐色の川水は津軽海峡に流れ、風と潮の流れで境界線をつくるが(雨の降る量により境界線が拡大する)、この境界線上には秋サケの定置網・底建網・コンブ漁など沿岸漁業で生計を立て、命を繋ぐ海域であること肝に銘じ忘れてはならない。

  P1010401_500.jpg      

  P1010402_500.jpg

大量の川水が流れることにより負の副産物までが。船上げ場の海岸には根こそぎ倒れた15m程の大木が。定置網への被害と航行中の船の進路に悪影響を及ぼさないか心配。(大畑川から)

  P1010413_500.jpg

国道、県道、市道、里山等に不法投棄された廃棄物が川に流れて海岸に漂着するが回収されずに海をさ迷う。投棄するのも美しい景観を守り伝えるのも人間。    

               P1010416_500.jpg

茶褐色の水・流木・漂着物など繰り返される状況を目の当りにし、地域で暮らす人々の生活と命を守る策と行動を注視しながらの時が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なつかしの鉄道

| コメント(0) | トラックバック(0)

なつかしの鉄道大畑線は、大正11年(1992)公布の改正鉄道敷設法で下北から大間迄の予定線として上げられ、そのうち下北から大畑間が着工され昭和14年(1939)12月6日に延長18キロメートルが国鉄大畑線として開業した。その後は「本州最北端の路線」として営業されてきたが、昭和56年に国鉄の財政赤字により大畑線は特定地方交通線の指摘を受け廃止対象路線となった。その地域の足を昭和60年(1985)7月に下北交通が経営を引き継いだが、経営状態は芳しくなく平成13年(2001)3月31日をもって廃止となった。

本州最北端の駅「大畑駅」構内。

P1010368_500.jpg

この先に湯坂下、釣屋浜、木野部、下風呂、大間へと続く路線が、時代に翻弄され工事半ばで中止に追い込まれた。

P1010369_500.jpg

二枚橋から歩いて大畑駅に、大畑駅から親戚が住む正津川までの2,5kmは何か違う世界を走っているような感覚で車窓からの風景を眺めた記憶がある小学生時代。中学生時代は利用した記憶が無い。高校時代は朝一番の汽車に乗ったが混雑と行商のおばさん達の特有な生活臭いに座席が確保できた時の睡眠の記憶、しかし、この3年間の鉄道利用した時間帯は遅かったかも知れないが自分探しを始めた大切な期間であったことは忘れることができない。

本州最北端の駅が、現在は下北交通(バス路線)の大畑出張所として地域貢献している。

P1010367_500.jpg

鉄路を結んだ橋が見たくて大畑駅からの歩き。大畑小学校手前にあるコンクリート橋は高さが無いので大型貨物車の通行ができず支障をきたしている。

              P1010372_500.jpg

上野地区の市道331号線に架かるコンクリート橋。

              P1010373_500.jpg

大畑駅から2,5kmにある正津川駅(駅舎は取り壊し)。

              P1010374_500.jpg

正津川に架かるコンクリート橋。

P1010375_500.jpg

正津川駅から2,3kmにある川代駅。

               P1010376_500.jpg

川代駅を過ぎ、出戸川に架かる鉄骨橋。この橋は昭和43年(1968)5月16日午前9時48分に北海道襟裳岬東南東沖120kmを震源とする(M7.9)十勝沖地震で甚大な被害をうけ改築したものである。また、この橋には二枚橋坂と同様に私なりの特別な想いがある。それは通勤・出張などの行きの車窓から海が消え、帰りの車窓からは漁り火が見えることから、海を介して自身と故郷を繋いでいた橋でもあった。

P1010383_500.jpg

オオハンゴンソウの生育環境が拡大する陸奥関根駅(川代駅から2,6km)。付近の住民から何の調査ですかの声かけがあり、しばし様々な地域資源の恩恵や大切さについて意見交換。

              P1010382_500.jpg

時代の波に飲み込まれての廃線路は荒れ放題。時の生活を支え人材を輩出した歴史・文化が無用の長物として置き去りにされゆく姿に何とも言えない寂しさを感じてならない。創意工夫して地域資源としての再生の道はないものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伝説の集落

| コメント(0) | トラックバック(0)

赤川の地名をめぐって古くから伝説が残っているようで、平安時代末期(1058~1064)の頃、陸奥国の尻屋に物凄い形相をした大鬼が住んでいて、方々の村を襲っては人を殺して物を奪うなど悪のかぎりをつくしていたそうで、こんな村人達の苦しみを聞いた鎮守府将軍 源頼義は家来を連れて下北の地に来て、一進一退を繰り返しながらも鬼退治をすることができたと言われている。

この戦いのとき、甲の返り血や刀の血のりを洗って川の水が真赤に染まったことから、この地を「赤川」と呼ぶようになったとの伝説がある。

   P1010360_500.jpg

戦いを終えて、甲を埋めた地が隣村の風間浦村管内の「甲」になったと言われています。遠くに見えるは潮の流れと気象が一変する甲岬です。   

   P1010362_500.jpg

赤川集落には風間浦村と境界争いをした大赤川と不動の滝がある小赤川(大畑寄り)が津軽海峡へと流れている。この二つの川の水は赤い色をしていて川原には赤く変色した石が点在している。           

   P1010346_500.jpg       P1010345_500.jpg

伝説とは別に、この赤く変色した現象の原因として考えられるのは、川の上流に小さな温泉があることから、鉄分を多く含んだ湯が噴出し川を赤く染めているのではないかと。

快晴の中、この温泉地までの一人歩き(午前7時40分)です。赤川八幡宮・特別養護老人ホーム延寿園・くろもりの郷を過ぎ小赤川林道を歩くこと30分で二又路に、最初は久しぶりに「不動の滝」で清涼感と目を閉じて森の声に耳を傾ける。肩の力が抜け何とも言えないこの精神状態。

          P1010352_500.jpg

黒森山から不動の滝つぼに流れ落ちる水の音にも命の尊さが響き渡っている。

          P1010353_500.jpg

気分爽快で二又路にもどり、右側の林道を歩いてまもなく温泉地へ下る自然道(一部は木柵で工事関係者が整備)です。平成3年に土地所有者が必死のおもいで建築された薬師堂があります。

          P1010356_500.jpg

薬師堂から数メートル離れた川岸の湯つぼに源泉が噴き、最近使用したと思われる形跡がある。隣接には壊れかけているが休憩小屋がある。

   P1010357_500.jpg

この源泉を取りまく周囲は谷が深く、佐藤ケ平や燧岳に降る大量の水対策としての砂防ダム、千畳敷きを思わせる屏風岩があり、まさに神秘的な空気が漂う空間があった。

    P1010358_500.jpg

秘境と赤く染まる原因の一部を見て帰路に。何故だろう背中を後押しされているかのように軽々と足が前に進むのは。赤川八幡宮で休憩後は薬師様の所有者と地域の皆さんから話を伺った。

●薬師様は病を除き健康で安楽に過ごすのに利益がある仏で、この仏は特に「目」に利益がある。

●毎年5月8日には集落の皆さんが川沿えにあった軌道を歩き、薬師様に手を合わせ・温泉に入り・景気を眺め沢山のご馳走を持ち寄り祭りが執り行われた。

●現在、この薬師様は社会生活環境の変化により、平成21年に薬師堂から所有者の自宅に移されている。

●15年位前に大雨で大赤川が暴れたとき、1本の大きくも無い立木が流木などをせき止め薬師様や源泉に休憩小屋を守った。~ここには何かが存在する。

●地元の人々だけでなく旅人も「湯治」に通った頃は湯つぼが2つあり盛況だった。

●地元の出稼者は今でも、汗の出口がふさがれて炎症がおこる「あせも」に効くと毎年、大量に温泉水を汲んで働き場所に持ち帰る。

*先祖、緒先輩・・・と語り継がれる伝説の集落には、そこに住む地域民の生き様の足跡があり、まだまだ多方面にわたり物語や現実の話があるようですので、機会をあらためて伺うことに。

薬師様所有者及び地域に詳しい皆さんに心より感謝です。有難うございました。

 

 

最近のコメント

2013年9月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30