伝説の集落

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赤川の地名をめぐって古くから伝説が残っているようで、平安時代末期(1058~1064)の頃、陸奥国の尻屋に物凄い形相をした大鬼が住んでいて、方々の村を襲っては人を殺して物を奪うなど悪のかぎりをつくしていたそうで、こんな村人達の苦しみを聞いた鎮守府将軍 源頼義は家来を連れて下北の地に来て、一進一退を繰り返しながらも鬼退治をすることができたと言われている。

この戦いのとき、甲の返り血や刀の血のりを洗って川の水が真赤に染まったことから、この地を「赤川」と呼ぶようになったとの伝説がある。

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戦いを終えて、甲を埋めた地が隣村の風間浦村管内の「甲」になったと言われています。遠くに見えるは潮の流れと気象が一変する甲岬です。   

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赤川集落には風間浦村と境界争いをした大赤川と不動の滝がある小赤川(大畑寄り)が津軽海峡へと流れている。この二つの川の水は赤い色をしていて川原には赤く変色した石が点在している。           

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伝説とは別に、この赤く変色した現象の原因として考えられるのは、川の上流に小さな温泉があることから、鉄分を多く含んだ湯が噴出し川を赤く染めているのではないかと。

快晴の中、この温泉地までの一人歩き(午前7時40分)です。赤川八幡宮・特別養護老人ホーム延寿園・くろもりの郷を過ぎ小赤川林道を歩くこと30分で二又路に、最初は久しぶりに「不動の滝」で清涼感と目を閉じて森の声に耳を傾ける。肩の力が抜け何とも言えないこの精神状態。

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黒森山から不動の滝つぼに流れ落ちる水の音にも命の尊さが響き渡っている。

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気分爽快で二又路にもどり、右側の林道を歩いてまもなく温泉地へ下る自然道(一部は木柵で工事関係者が整備)です。平成3年に土地所有者が必死のおもいで建築された薬師堂があります。

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薬師堂から数メートル離れた川岸の湯つぼに源泉が噴き、最近使用したと思われる形跡がある。隣接には壊れかけているが休憩小屋がある。

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この源泉を取りまく周囲は谷が深く、佐藤ケ平や燧岳に降る大量の水対策としての砂防ダム、千畳敷きを思わせる屏風岩があり、まさに神秘的な空気が漂う空間があった。

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秘境と赤く染まる原因の一部を見て帰路に。何故だろう背中を後押しされているかのように軽々と足が前に進むのは。赤川八幡宮で休憩後は薬師様の所有者と地域の皆さんから話を伺った。

●薬師様は病を除き健康で安楽に過ごすのに利益がある仏で、この仏は特に「目」に利益がある。

●毎年5月8日には集落の皆さんが川沿えにあった軌道を歩き、薬師様に手を合わせ・温泉に入り・景気を眺め沢山のご馳走を持ち寄り祭りが執り行われた。

●現在、この薬師様は社会生活環境の変化により、平成21年に薬師堂から所有者の自宅に移されている。

●15年位前に大雨で大赤川が暴れたとき、1本の大きくも無い立木が流木などをせき止め薬師様や源泉に休憩小屋を守った。~ここには何かが存在する。

●地元の人々だけでなく旅人も「湯治」に通った頃は湯つぼが2つあり盛況だった。

●地元の出稼者は今でも、汗の出口がふさがれて炎症がおこる「あせも」に効くと毎年、大量に温泉水を汲んで働き場所に持ち帰る。

*先祖、緒先輩・・・と語り継がれる伝説の集落には、そこに住む地域民の生き様の足跡があり、まだまだ多方面にわたり物語や現実の話があるようですので、機会をあらためて伺うことに。

薬師様所有者及び地域に詳しい皆さんに心より感謝です。有難うございました。

 

 

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