2010年7月アーカイブ

浜風に誘われて2

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一休み後は風化や高波によって岩が侵食されて出来た地形(波食棚)「ちぢり浜」の自然景観を堪能。ちぢり浜の名称は平安時代の末期に源頼義が悪い鬼と戦ったとき、鎧の返り血や刀の血のりを洗って川の水が真赤に染まり、川から海に流れて海岸を染め、「血の散った浜」から「血散り浜」が訛って「綴浜」となったと言われている。

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波食棚岩場の間から真水が湧いて海へ流れ出ている。

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岩の壁に二つ並んで穴が開いています。足跡のように見えるので地元の人々は弁慶と牛若丸の足跡と呼んでいる。

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石が窪みの中を波の力で動き、長い時間をかけて窪みをすり鉢状に侵食した穴(ポットホール)が、干潮になれば海水が残り小さなプールに、そこにはカニ・小魚・ヤドカリ・イソギンチャクなどが。金魚の形に見えるポットポールを「金魚フド」と呼んでいる。

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侵食された石と種類が違う大きな岩があり、地元の人々は弁慶が投げ残した石と呼んでいる(黒石)

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京都の庭園でも見ているような波がつくりあげた砂の美しさもある。

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「ちぢり浜」「黒森山」「不動の滝」などの豊かな自然に恵まれた環境の中で、子どもから大人までが体験を通して人との出あいと触れ合いを学ぶ機会を提供する「むつ市下北自然の家」がある。かって二枚橋スポーツ少年団やOB会にロードランナーズを引率し、この自然を最大限利用し和と記録向上のため過酷なまでのトレーニングに励んだ頃が懐かしく思い出された。

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地域内の自然が環境教育という枠を超え、多くの人に命を繋ぐ大切な財産として心に残るであろう。

反面、社会の急激な変化に対応できず2006年に廃校となった市立佐助川小学校。子どもの声が聞こえない姿は何とも寂しいもので、地域で暮らす人々は日々どんな想いでこの姿を見そして感じているのだろうか。

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近い将来、二枚橋にも同様の波が押し寄せるかも。行きの浜風とは異なる吹き上げと香りを感じながら、複雑な想いを胸に木野部峠を越える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浜風に誘われて1

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二枚橋でも平年以上の暑さが続いている中で、津軽海峡の浜風が居間を通り抜け道を走り去り里山へ駆け上がっていくこの清涼感、猛暑のなかで暮らす生粋の都会人・田舎に故郷を持つ都会人達に、この浜風の清涼感と香りを分け与えて上げたいものだ。

流れ落ちる汗を気にもせず「浜風に誘われて」隣接の北通り集落の海岸線を香りを楽しみながら歩く。

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二枚橋と同様に沿岸漁業で永々と命を繋いできた地域ですが、高齢化の波は容赦なく速度を上げしかも確実に押し寄せているが、地域資源として広範囲にある磯場が厳しいながらも生きる活力を与えているような気がしてならない。男達は手と足で磯舟を操り箱メガネで海底を覗きタモでウニをすくい上げる。今年は豊漁のようで何よりです。

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このくらいの高波は気にも止めず、押し返す勢いでのウニ漁を続ける女性。ウニ袋が膨れていく。

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入り江となっている場所では遊泳でもしているかのようなウニ漁。たくましい女の姿が。

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地域資源の豊富さを見せ付けるツブ貝が石を覆いつくすような光景がいたる所に。二枚橋の糠森平坦磯では見かけることが無い。

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平成15に青森県が心と体をいやす海辺の空間整備工事で建設した小出橋付近のベンチで一休み。無糖のコーヒーに潮風が入り程よい塩分補給をしながら自然のなかの人間の生き様を想う。

 

あおい

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卒業して「やりたいこと」を探し求め、とりあえず仕事に就きイヤになったら別の仕事へ、の繰り返し。また荒削りで自信過剰に加え知ったかぶりなど等・・・こんな若者をあざけって「青い若造」と世間では言っているが、これからの地域・日本を背負って行くのは間違いなく彼等たちである。

その若者達は社会・人間関係に関する免疫力も無く、熱き・やさしい心情の貯えも持ち合わせていないが故に、厳しい現実に直面する度に迷い苦しんでいる。

こんな時に手足になる優しさ・言葉をかけてやる優しさ・そっと見守る優しさなどがあろうと思うが、一時の行動や発言で見切りをつけるのでなく許し待つ度量が必要なのでは。

そのためにも過去の実績での物言いや、今時の若者は・・禁句。自助努力を忘れ化石化したベテランで在りたくない。

「あおい」ことは可能性を秘めたすばらしき財産・・・こんな事を考えながら暑い里山を歩けば、ここにも厳しい自然環境をに耐え忍びながらも「あお」さが輝いている面々たち。どんな成長ぶりを見せてくれるのか楽しみです。「ミツバアケビ」

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クマ・サルの大好物「サルナシ(コクワ)」

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酸っぱさが最高「ヤマブドウ」

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ぴり辛い「サンショウ」

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古代からの食「クルミ」

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どの「あお」さも様々な風に耐え、やがてそれぞれの存在感と役割を果たして冬支度。

道端の雑草が草刈機で刈り取られた後に、小さいながらも曲がりながら桃色の花が可愛い「ネジバナ(ねじり草)」も若者を応援しているようです。

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イカ漁

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地域の主産業の「イカ漁」は経済成長に伴い船も設備も高度にしかも機械化され、より遠くにより多くの漁を求めて操業を続けてきたが、燃料の高騰・後継者不足に加え資源の減少という悪循環が重なり、廃業に追い込まれる船主が続出し現在に至っている。

今年は梅雨明け宣言と同時に暑さが厳しくなった頃から、前沖の津軽海峡で操業する数が多くなった。通常の昼と夜が逆さになって働くこの仕事は休眠・栄養に精神状態の安定が命を保障する。今日は大丈夫だろうか。

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今夜は満月の下での操業になりそうです。

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地上から見る漁り火は風と潮に流されながら位置を変えるが、船主・船員の家族・この地を訪れた観光客など見ている側にはどんな光景で映し出されているのだろうか。

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朝イカの操業が続いていますが大漁で寄港してほしいものだ。獲れたての朝イカの刺身が朝食の食卓にならぶは最高の贅沢。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薬研(やげん)道3

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一休み後は大畑林道から赤い奥薬研橋(昭和43年10月竣工)・サイメイ沢橋を渡り、大畑ヒバ施業実験林から2.8キロメートル先にある国設薬研野営場を目指してのテクテク歩き。

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この道は環境省の東北自然歩道で「あすなろへの道」と名付けられているが、かって木材の運搬に使用されていて森林鉄道のレールが一部残っている。この環境を観光資源の目玉として復活させる構想があり行政視察研修し検討した経緯があるが何処に。

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あやめ沢を渡った所で大畑川に架かる「つり橋」で涼しい川風を受けの深呼吸で一息。

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明治44年に森林鉄道が作られ、大正15年には蒸気機関車、昭和26年にはディーゼル機関車が導入され、その延長は60キロメートルにも及んだ。一般にも利用が認められたが昭和37に自動車への転換が打ち出されたことにより姿を消した。その歴史証明の一つに人の手で(ツルハシ・ハンマー等)自然石を削り掘った「ずい道」が口を開けています。(全長100m・高さ2,5m・中間点が曲折)

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外の暑さとは大違いの冷気が漂っている。

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寒水沢橋を渡ると森林鉄道から車道(林道)に変わります。実験林入口から歩き出してから何かが違う。アスファルト舗装道から土の道そして覆う緑の中で野鳥が鳴き、山アジサイが咲き、澄み切った青空の広がりを見て当り前の自然環境に納得している自身がいる。

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巨木100選の(愛称「おぐり」樹齢800年・高さ27m・幹回り7,8m)の看板を見ながら国設薬研野営場に到着です。管理棟で冷たくて気持ちよい水で顔を洗い、背負ってきたオニギリを食しながら緑・青・風を満喫しています。

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気分爽快の中で野営場から大畑川に架かる錦橋(平成20年4月竣工)を渡り、午前中に歩いた恐山公園大畑線に出て帰路に。行きとは違う風景が見られる(頭首工付近)

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廃校になった小目名小学校付近の川辺は野外炊事で賑わい、7月に解禁になったアユ釣りの好場所でもあります。

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午後3時に妻の実家に到着。義母が用意してくれたアイスコーヒーとさくらんぼを一気に流し込む。

木野部峠・旧道・北通り・恐山道・薬研道に里山・里海と日課のように歩くのは、単に歩くのが好きとか健康のためだけでなく自然に接することで自然から学び、風に吹かれて社会を知り、そして何よりも先人達が汗と涙で築き上げた地域資源とその熱き想いを知ることであり、それを後世に残し伝えて行くことこそが私達世代の役目なのでは。

 

 

 

薬研(やげん)道2

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薬研橋駐車帯を過ぎ糸魚淵橋(平成3年12月竣工)を渡り、小さな祠堂を左に見ながら進めば薬研温泉郷への広告塔が、左に進めば日本最大霊場の一つである恐山への道で、この7月20日から24日に大祭典が催される影響なのか栃木・熊谷・福島・秋田ナンバーの車が入れ替わり往来している。右側に釜ノ沢に架かる紅葉橋(こうようばし 平成13年12月竣工)。ここから見る四季の彩りもまた絶景ポイントの一つです。

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薬研温泉郷に到着です。(昭和43年7月下北半島国定公園に指定)

薬研という地名の由来は、元和元年(1615)に徳川方に敗れた豊臣方の武将が追手を逃れて大畑川をさかのぼり安住の地として、温泉の豊富なこの地を見つけ湯の湧き出る箇所が漢方薬種を砕粉するために使用する薬研という器具ににていることから名付けたと言われている。

薬師如来像を温泉の守護神として安置している薬研堂があり、毎年7月に薬師堂大祭と丑湯まつりの合同祭典が行われている。

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湯の沢橋(昭和60年11月竣工)・楢の木橋(昭和60年12月竣工)・鯎滝橋(うぐいたきはし 昭和61年3月竣工)を渡りコンクリート屋根の大滝覆道に。ここから見る大滝周辺の四季の彩りもまた絶景ポイントの一つです。

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奥薬研かっぱの里の広告塔が。湯ノ股橋(平成11年11月竣工)を渡ったところで県道恐山公園大畑線が終わり大畑林道(昭和37年)となる。その隣接に奥薬研修景公園と総ヒバづくりのレストハウス・夫婦かっぱの湯があり大畑川の渓谷を楽しむことができる。

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円仁慈覚大師が道に迷って足を踏みはずして大怪我をしたさえ、どこからともなく大きなフキの葉っぱをかぶった一匹の河童が現れ、苦しんでいる様子を見て背負って露天風呂の中に、不思議にも痛みが消え失せたことから河童の義心に感激して「河童の湯」と名付けたと言われている。

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この区間でもテクテク歩きをやわらげてくれたのが、道端に紫色の唇形花を密集させて咲かせていたウツボグサです。

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午前8時40分にテクテク歩きをスタートして約2時間30分。普段は飲まない微糖の缶コーヒーを飲んだ後は足湯に浸かって一休み。

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薬研(やげん)道1

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梅雨明け宣言が北上する中で晴天に誘われるかのように自宅を飛び出し、妻の実家までは自転車を乗り午前8時40分に奥薬研までの恐山公園大畑線を緑と青を意識してのテクテク歩きです。

歩いてすぐ左側の農地を平成22年9月30日までの期間に(工事費4,756,500円)盛土整備し、関係所有者に引き渡す工事が進められています。(降雨時の冠水等の災害対策)

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歩けば神社の創建は不詳であるが、御神体に延暦元年(782)の文字や延喜4年(904)別当職を大行院が始めたとの言い伝えがある深山神社への参道が(例祭6月14・15日)

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この深山一帯は一説によれば大畑地名発祥の地とも呼ばれています。また檜山は自然林の宝庫でもあり度重なる大飢饉の米稗などの食料資材の担保として幾多の人々を救済したと言われている。「栃ノ木」は神木として存在感があったが落雷・老朽化に伴い切倒されたが、小学校の頃は二枚橋から遠足で来て大きさに驚きながらも登って遊んだ記憶がある。

この場所に先人達の最初の開発偉業を偲び郷土を愛する心を後世に伝えるため石碑を建立している。また疾病・貧乏・災難などを除き人々の幸を願った道祖神浮彫りの三尊を安置した祠堂もある。

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喜和田川に架かる佐渡橋(平成19年5月竣工)をわたり進めば、高橋川集落に。この集落は当二枚橋釣屋浜地区の砂鉄を掘ってこの地に運んだ事から(承応3 1654年)俗称「カナ山}と呼んだ。集落のはずれには添木石地蔵尊立像(供養地蔵 1782年5月建立 施主 山師荘助)がある。

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左に管理釣場を見ながら高橋川に架かる金山橋(かなやまばし平成5年11月竣工)を渡れば、道端に石地蔵尊立像(三太郎御山 安永10年)がある。この背後には過去に苗木畑が広がっていたが今は広葉樹林地に。

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添木川を渡り坂道を上がれば小目名集落。集落の端に2008年の春に社会構造の変化に伴い閉校したむつ市立小目名小学校 ここの時計も止まったまま。

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右側に羽色(葉色)山神社(例祭5月16・17日)の山門が、背後にある山林一帯を明神平といい個人所有地として細分化されていて、昭和48年の国土調査のさえ獣道が幾通りもあり見た目以上に険しくきつく体力勝負の時間を過ごした時を脳裏をよぎる。

葉色沢橋(昭和42年9月竣工)を渡れば、右側に大畑川で捕獲したサケの孵化場へ通じる道が。流れる水の音が大きく聞こえる頭首工です。ここは大畑・正津川地域に開田(大畑土地改良区)した農地に用水路で供給している水源の場所です。この場所での記憶は数百匹のウグイが遡上する様とコンクリートに吸いつくヤツメウナギ(ゴボウを沢山いれて卵とじでいただいた味は忘れられない)

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大正時代に植林された杉林の坂道を上がり、ゴネ沢に架かる仙山橋(平成13年9月竣工)を渡れば大畑川に架かる薬研橋(平成13年3月竣工)。この橋から見る四季折々の彩りはまさに絶景で見る者を心底魅了するであろう。駐車帯で一休みです。

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テクテク歩きの疲れは感じないものの和らげてくれたのが、淡紫色で下を向いた鐘形の花を咲かせているツリガネニンジン。

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赤岩

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当地域の沖合いの津軽海峡は暖流と寒流が激しく交錯し、潮の流れも速く海底は大陸棚が続き恐山・佐藤ケ平を背後にした里山から流れる水が四方の栄養分を運び好漁場を形成している。

特に赤岩崖岸周辺はワカメ・コンブ・ヒジキなどの海草やウニ・アワビ・ソイ・アイナメなどの魚貝類の宝庫で、沿岸漁業で生計を立てる地域民にとっては自然の恵みに感謝しながら過去・現在・未来とも命を繋ぐ場所が「赤岩」である。

この赤岩は当地域の北西側に位置し、風や高波で侵蝕され切り立った崖が続き、崖には赤い肌を見せている大小の奇岩・巨岩が泰然と並ぶ光景から、約400年前の昔からこれらを赤岩様と呼んで崇めています。

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船が波しぶきを上げて進めば旧大間鉄道の第二トンネル入口が口を開け、今なお戦争と言う悲惨な時代に翻弄され北通り地区の夢を断ち切った歴史の証人としての顔を見せ付けています。

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古代の人々は特徴ある奇岩・巨岩などに神霊や超能力が宿ると信じたことから、赤岩岬の中央に地蔵の姿をした巨岩があり海から拝されるので漁師は「赤岩大明神」として、海難事故で亡くなった人々の供養や現実の人生苦悩の願いと感謝を込めて崇拝している。

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赤岩岬の中央を過ぎた所に入り江があり、今は亡き父と舟を漕いで魚貝類採取に出かけたさえ昼食と水分補給のために立ち寄った場所で、見上げれば里山の水が滝となり玉石が敷き詰められた海岸に流れ出る。その冷たさと美味さは握り飯・たくあん・採れたてのアワビ・ウニをさらに引き立てた忘れることのできない心の財産を残してくれた場所です。

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以前、塩釜神社神官、氏子総代が舟にのり海上で祈願祈祷していたが(赤岩岬に小祠があった)明治初年の頃に風蝕した岩塊の一部を分身し、塩釜神社境内地の向かって右側に御堂を建て遷座するようになって危険を伴う海上祈願が中止されて現在に至っている。

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波しぶきを上げて船の上から見る赤岩周辺の海は神が宿る色なのか一面がエメラルドグリーン。

これこそ故郷の財産であり生きる支えである。

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暑さの予感

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慌しい日々が続いた影響で少々疲れ気味で早めに横になった。未明に眠りからさめ得をした気分でラジオに耳を傾けたら「北の旅人」。

たどりついたら 岬のはずれ 赤い灯(ひ)が点(つ)く ぽつりとひとつ

いまでも あなたを 待ってると いとしい おまえの 呼ぶ声が

俺の背中で潮風(かぜ)になる 夜の釧路は雨になるだろう

曇天と濃霧の日々が続いている中で、久しぶりに夏の澄みきった青空の広がりと流れる歌への想いが重なり、一日の始まりに何か新たな力が注ぎ込まれたようです。

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夏本番前の涼風に乗って流れる朝焼け雲が美しい。

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地球が太陽をまわる軌道は円ではなく長円であることから、太陽と地球の距離はいつも正確に同じではなく、太陽が遠くなればその分だけ地球にふり注がれる太陽熱は弱くなる。

今は太陽が地球から最も遠くなる(遠日点)時期なのに北半球はこれから暑くなる。(地球上の暑さ寒さは太陽と地球の距離ではなく太陽光線が地面に差し込む傾きによって決まる)

地球温暖化の影響もあり、今日も今年の夏本番も暑さの予感がしてならない(素人の考え)

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黄金色の海道をつくり日はまた昇る。

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緑陰が涼しく、海辺で水しぶきをあげ喜びの声を発し飛び跳ねる子ども達の遠い過去の姿を追っていた。

 

 

 

 

 

 

 

小さな積み重ねと休養

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平成18年に最悪の状態まで落ち込んだ精神と肉体を静かに、ゆっくりと積み上げてきた成果を青森マラソン(7・4)という舞台で表現して2年目。結果は順調にしかも確実に上昇気流に乗るが如く上向いていた。応援してくれた家族は勿論、支えられた多くの人々に感謝です。

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今日の終わりは始まりの終わりであることと、記録の結果よりどんな状況下でも前向きに「小さな積み重ね」を続ければ可能性が生まれることを再確認出来たことで、支えと意欲が視界を良好にしてくれることが楽しみです。

心地よかった汗と疲れを雲谷温泉で洗い流した後は、高原の緑風で充実感を増幅させ畳の上に寝転び流れる夏の雲に楽しく熱き想いを載せて夢心地です。

その晩は息子夫婦と楽しく美味しい夕食を済ませ、青森駅発9時の高速夜行バスで一路、東京へ。(7・5)日本橋問屋街で期間が短い北国の夏物商品を歩いて歩いて仕入。もっぱら商品の運びが役目ですが、これもまた好し。

(7・6)は年間約250万人の登山者が訪れる高尾山の山頂で景色を拝みながら休養することにし、一人南武線・京王線を乗り継ぎ高尾山口駅に。そこからカジカ蛙が棲む清流の音を聞きながら登山口に向かう。

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ゴミ持ち帰り運動発祥の地のシンボル「そうじ小僧」の石像に挨拶をし、清滝に合掌して表参道(1号路)を上ります。

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坂道が続くが直線的ではなく蛇行を繰り返しながら快調に進めば、早くもケーブルカーの駅付近(晴れていれば新宿方面のビルが一望)を通過、進めば高さ37m・幹囲約6m・樹齢約450年で昔、参道を開削のさい盤根が邪魔になることから伐採しようとしたら、一夜にして根が後方に曲折したとの伝説と、その根がたこの足に似ていることから「たこ杉」と呼ばれるようになった木を見ながら進む。

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進めば浄心門。

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108段階段を上がり、古来から伝説が数多く伝えられている天狗(左・小天狗:右・大天狗)

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御本堂で合掌し歩くこと1時間で高尾山山頂(599m)です。晴れていれば富士山が一望できていたのに残念ですがソフトクリームを食べながら、平成18年とは別人のような体となった時の経過を想いながら休憩です。

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天候が回復傾向に向かったので下山。軽やかに進めば参道の木陰に咲くヤマユリに魅せられてしばし足を止める。

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故郷とは違う空気、風、臭い、景色に人間の心模様を感じながら、こんな「休養」のあり方もいいのでは。紅葉の時期に再び別ルートを歩いて見たいものだ。

(7・7)は定期検診のため混み合う時間帯を避けて早朝に病院通い。検査数値に異常が無いことを妻と娘に報告しながら飲むアイスコーヒーの味は格別で、娘が、娘を見送る姿に目頭を熱くし新幹線では眠り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風の商品

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P1010064_500.jpg津軽海峡を一望できる部屋で作り上げた和・洋の手作り商品です。

 お仕事、ショッピング、旅行のお供にいかがでしょうか。

■セカンドポーチと小銭入れのセット商品をリバティ布地で作ってみました。

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   (サイズ 縦8cm×横13cm×底4cm @1420円)

■色違いのセット商品です(サイズ及び単価は同上)

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■和布のかわいい丸型模様をつけたポーチです。

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   (サイズ 縦15cm×横20cm×底5cm @1180円)

■色違いの商品です。(サイズ及び単価は同上)

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■ちょっと大きめのバックの中の整理にとても重宝なセカンドポーチです。

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   (サイズ 縦15cm×横24cm×底6cm @1100円)

■色違いの商品です。(サイズ及び単価は同上)

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■スリムBOX対応のティシュカバーです。和柄の物もいろいろ揃えています。@560円

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■和布で作ったミニ半天です。スダレを背に壁掛けにいかがでしょうか。@600円

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*商品に関するご意見、要望等がありましたらお聞かせ願いたい。

 

 

 

 

 

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