梅雨明け宣言が北上する中で晴天に誘われるかのように自宅を飛び出し、妻の実家までは自転車を乗り午前8時40分に奥薬研までの恐山公園大畑線を緑と青を意識してのテクテク歩きです。
歩いてすぐ左側の農地を平成22年9月30日までの期間に(工事費4,756,500円)盛土整備し、関係所有者に引き渡す工事が進められています。(降雨時の冠水等の災害対策)
歩けば神社の創建は不詳であるが、御神体に延暦元年(782)の文字や延喜4年(904)別当職を大行院が始めたとの言い伝えがある深山神社への参道が(例祭6月14・15日)
この深山一帯は一説によれば大畑地名発祥の地とも呼ばれています。また檜山は自然林の宝庫でもあり度重なる大飢饉の米稗などの食料資材の担保として幾多の人々を救済したと言われている。「栃ノ木」は神木として存在感があったが落雷・老朽化に伴い切倒されたが、小学校の頃は二枚橋から遠足で来て大きさに驚きながらも登って遊んだ記憶がある。
この場所に先人達の最初の開発偉業を偲び郷土を愛する心を後世に伝えるため石碑を建立している。また疾病・貧乏・災難などを除き人々の幸を願った道祖神浮彫りの三尊を安置した祠堂もある。
喜和田川に架かる佐渡橋(平成19年5月竣工)をわたり進めば、高橋川集落に。この集落は当二枚橋釣屋浜地区の砂鉄を掘ってこの地に運んだ事から(承応3 1654年)俗称「カナ山}と呼んだ。集落のはずれには添木石地蔵尊立像(供養地蔵 1782年5月建立 施主 山師荘助)がある。
左に管理釣場を見ながら高橋川に架かる金山橋(かなやまばし平成5年11月竣工)を渡れば、道端に石地蔵尊立像(三太郎御山 安永10年)がある。この背後には過去に苗木畑が広がっていたが今は広葉樹林地に。
添木川を渡り坂道を上がれば小目名集落。集落の端に2008年の春に社会構造の変化に伴い閉校したむつ市立小目名小学校 ここの時計も止まったまま。
右側に羽色(葉色)山神社(例祭5月16・17日)の山門が、背後にある山林一帯を明神平といい個人所有地として細分化されていて、昭和48年の国土調査のさえ獣道が幾通りもあり見た目以上に険しくきつく体力勝負の時間を過ごした時を脳裏をよぎる。
葉色沢橋(昭和42年9月竣工)を渡れば、右側に大畑川で捕獲したサケの孵化場へ通じる道が。流れる水の音が大きく聞こえる頭首工です。ここは大畑・正津川地域に開田(大畑土地改良区)した農地に用水路で供給している水源の場所です。この場所での記憶は数百匹のウグイが遡上する様とコンクリートに吸いつくヤツメウナギ(ゴボウを沢山いれて卵とじでいただいた味は忘れられない)
大正時代に植林された杉林の坂道を上がり、ゴネ沢に架かる仙山橋(平成13年9月竣工)を渡れば大畑川に架かる薬研橋(平成13年3月竣工)。この橋から見る四季折々の彩りはまさに絶景で見る者を心底魅了するであろう。駐車帯で一休みです。
テクテク歩きの疲れは感じないものの和らげてくれたのが、淡紫色で下を向いた鐘形の花を咲かせているツリガネニンジン。
コメントする