大間鉄道(1)湯坂下~二枚橋

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下北地方北通りの産業発展・教育・文化等の交流に欠かせない交通網整備のなかで、急カーブ、急勾配の木野部峠越えが最大の難所でした。

先人達は歩き、馬、乗り合いバス、そして鉄道実現への夢を膨らませたが、昭和18年に時代に翻ろうされた形で工事が中止となり再開されることなく放置されたままである。

以後、鉄道用地の一部は国道279号線・公共施設の建設・生活道路代替地として利用されている。

遠く真正面に見える山は大尽山(828m)です。鉄道用地がそのまま国道として利用されている部分で左側は湯坂下地域への道です。かっての鉄道用地は撮影している位置くらいの高さがあり、画像中間点あたりには大きな窪地があり沢水が絶えることなく流れていたし、傾斜面は削られたままで落石・悪路に加え道幅の狭さが恐怖感を増幅させていた。 P1000411_500.jpg

二枚橋方面に向かって歩けば左側に大畑中央公園(野球場、テニスコート、プール、陸上競技場)がありますが、この辺一帯は縄文生活が漂う涌舘遺跡や二枚橋遺跡が発掘された場所です。

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さらに歩けば孫次郎間集落に流れる茶水川を超え大畑道地域に入ります。国道左側の住宅裏は農地が広がり食料供給地でもあり、二枚橋遺跡発掘の場所でむあります。

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津軽海峡が見えて来ました。鉄道用地は白い住宅方面に向かっています。この白い住宅は地域内の生活道路環境整備のため代替地として対応した部分です。

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白い住宅の裏手を300mほど歩けば7連のアーチ橋が姿を見せます。現在は平坦で通り抜け出来ないよう鉄柵をしているが潮風の影響が心配です。

かってのアーチ橋はコンクリートの山を上がり下りしながら大畑方面に出かけたが、安全対策から埋め戻しした経緯がある。しかし年月を重ねる度に老朽化が著しく「取り壊し」・「保存」かで議論されたが、ここで暮らす住民の安心、安全が担保されない行政の取り組みに憤りを感じる。

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アーチ橋の下は下狄川が流れ、にこにこ親水広場もあります。歩けば二枚橋住宅と急傾斜に挟まれた鉄道用地、この斜面は幼少の頃はスキーを楽しんだ場所です。

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300mほど歩けば中川目沢に1連のアーチ橋。その先は二枚橋小学校通学路及び農道のため盛土部分が削られている。その先には昭和48年に社会教育の拠点として建設された地区公民館と防災対策のための消防屯所がある。

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