当地域は海岸近くまで山が迫り川の字の如く下狄川・中川目沢・三右衛門沢の3本の川が津軽海峡に注ぎ、集落は沿岸沿いに建ち並んでいる。こんな地形だからこそ坂道が存在するのでは。
「坂」・「坂道」は単に傾斜のついた場所を指すだけでなく、人生においての好不調を表したり困難な局面を形容する言葉として用いられる場合も多いかと思う。若い時は何の苦も無く歩き・走り・自転車を乗りまわしたものだが、歳月を積み重ねることで背負った数々の責任の重さが加わり足の動きに陰りが見え始めてくる。反面、走り続けたことで背負った重さから開放されれば、ゆっくりと地域の原風景を見ながら日々変化する津軽海峡の風に吹かれながら歩く楽しみを坂道は教えてくれている。
この坂道(1)は昭和51年に食料自給向上のため地域が大畑町農業委員会に農道整備の陳情書を提出したことが口火となり、以後、老朽化した二枚橋小学校新築が後押しすることにより、平成元年に着手し平成2年に工事完了している。
現在この坂道を利用する人は、農地耕作、二枚橋小学校通学路、先祖の埋葬・供養する共同墓地に地蔵堂と往来する人は数多い。
津軽海峡に吹き荒れる風の通り道になっていて、立木が倒れ建物の屋根が剥がされた坂でもある
この坂道を上がれば「家ノ上」という地名に広がる農地があり、かっては砂鉄が採掘され、縄文の臭い漂う家ノ上遺跡の発掘場所でもある。現在は二枚橋バイパス工事で地域に出入りする道路建設が進められていて、今後とも利用が拡大し重要な坂道となるだろう。
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