当地域の東南端に位置する色見崎周辺に戦後、北陸や津軽庄内方面からイカ漁のため移住して来た人々や、分家の人々が家を建て生活するようになったが本家筋や村代々の古い家の人達から見ると、畑仕事はやらなくとも良いし地域の行事及び他人との交流も自由であったので気楽だとうらやましがられ、誰言うともなくこの辺を「気楽町」と呼ぶようになったが、現状は高齢化・経済環境等の変化により地域を去る人も現れ、この呼び名は風化している。
しかし、この地域に住んでいる人々にとっては急勾配で危険な坂道でも生活には欠かせない坂道で、「ほのき坂」と呼ばれています。地域の長老を訪ね名称の由来を聞いてみたが不明であった。
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