幼少の頃の我が家の年越しは、父が神棚や床の間に松飾りをし先祖供養と年神を家に迎え入れる準備、また子供は近所にある井戸から風呂水を運び湯を沸かす役目、夕食前に風呂に入り身新しい服に着替えた後に父親を真ん中に赤い膳の前にコの字に座り、鮭、イクラ、ナマコ、アワビ等の海産物に鯨汁と煮しめなど、二の膳には大きな鯛のお菓子に羊羹、果物がつき一年の労をねぎらいながら、子供の成長を祝ったものだ。
除夜の鐘を聞きながら自前の年越しソバを食べ、早朝(元旦)には「若水」を汲み雑煮、黒豆、数の子などを食べながら新年を迎え、7日の早朝に松飾を下ろすことで一年がスタートしたものだ。(地域によって松飾を下ろすひが異なる。)
しかし、現状は生活環境や食環境が大きく様変わりして年越しも正月も普段と何ら変わりない。しかし今思えば娯楽、スポーツ、図書館等の施設はなく映画を見たくても小遣いも無し。こんな生活環境だったからこそ身新しい服に袖を通す時や、食材の確保ために流した汗や苦労への特別な思いが赤い膳に込められていたような気がしてならない。
雪が降り積もった里山で赤い枝が目立ちます。「ミズキ」です。
旧正月の年越しです。女の正月と言われています。この「ミズキ」の枝に赤色の餅を飾りつけ(メダマという。)、神棚や床の間に飾りお祝いをしたものだが、現在は様変わりした生活環境とミズキが少ない影響もあり地域内でも遠い過去の年中行事になっています。
ミズキにつけた餅を油で揚げたり、鍋で煎り砂糖をまぶして食べた味が今でも忘れられないのは私だけでしょうか。
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