屋号

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江戸時代は農・工・商の家々は苗字を名乗ることは特別の家を除いて禁じられていたが、明治3年(1870)明治政府は平民に苗字許可令を出し、明治8年(1875)には「自今必苗字相唱可申」と再び太政官布告をだしている。しかし人々は姓を名乗る習慣に容易になじまなかったようである。たとえば寺の過去帳に姓が記されているのは明治16年以降(1883)頃からであるとか。各戸は姓を有し、姓を名乗るようになったのであるが、近隣社会内では依然として屋号で認知され、屋号で呼ばれるという状況が今日まで続いている社会もある。

屋号は、命名者の視点から見る時には共同命名屋号と自家命名屋号に分別することができ、「共同命名屋号」とは集落内の人々が誰言うとなく言い始めた呼び名が、やがて集落内の人々の共感を得て、その家の呼び名として定着した家名(いえな)である。その名は、やがて名付けられた家の人々がみずから名乗る名ともなる。命名された家の立場に立てば、これは呼ばれ名屋号であり農家・漁家の屋号にはこの呼ばれ名屋号が多い。その家が自ら名乗り出た屋号を「自家命名」といい、これらの多くは商家・工人の家が、その業を営むために掲げた名である。

屋号はことば屋号と記号屋号に分別できる。記号屋号は「家印いえしるし」をそのまま読んで屋号としたもので「家印」は物の所有を示す記号で、農家では鍬や鎌などの農具に漁家では漁具や漁箱などに刻印し、この家印をそのまま屋号とする社会も多い。(ことば屋号とは「ソラ」「カメヤ」の類)

磯舟を操っての沿岸漁業は父の代で終わり漁具へ刻印したものは残っていないが、豆類を入れた箱物には残っており我が家は記号屋号がそのまま家印となっているが、現在もこの屋号が通用している社会と衰退傾向にある社会また途絶えた社会があるようです。

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社会人としてスタートした初期に、働く人間の心構えを教わった地域での短い時間の中で頻繁にこの屋号が飛び交い悪戦苦闘した思い出が未だ消えずに刻まれており、今、こうして向き合う不思議な縁を感じている。

 

 

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