津軽海峡の塩

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長慶天皇(1343~1394)の頃、今の釣屋浜と二枚橋は「上下釣屋」と呼んでおり、その後、南部藩代官が釣りをしに来たことから「釣屋浜」と名付けたとも言われている。

この地域は北西に絶壁の赤岩・背後も逃げ場のない地形に加え、高波による侵食が危惧されたことから昭和40年から42年には消波ブロック、昭和48年から49年にかけて護岸工事が施行されたが、近年の地球温暖化等による異常気象等の影響で、通常の低気圧でも消波ブロックを乗り越えてくる漂着廃棄物に流木、一度乗り越えた廃棄物等は堆積したままで周辺の景観を損ねている。

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一方で、入り込んだ砂がハマナスの群生を呼び込み国道側、海岸から見る人々の目を楽しませているのも事実で、又、下北交通の釣屋浜停留所から見る津軽海峡の海原・浮かぶ尻屋崎に北海道恵山岬・絶壁の赤岩に架かるハーモニー橋・旧大間鉄道停車駅予定地そして釣屋浜遺跡(塩窯)、これだけでも先人達の生きることえの想いが込められた地域でもあるし、活用することで新たな物語と人材が育つ可能性が十分にあるのでは。

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平成22年7月1日に釣屋浜遺跡として指定された塩窯遺構石組について現場確認中ですが、ミネラル豊富な津軽海峡の「塩」を塩窯で再現して見たいものだ。塩窯の現場近くに川あり。

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