新たに地域資源として加わった釣屋浜林道の開設を記念して行われた昨年の雪山ウォークも大雪に見舞われたが、今年は実施日直前の午前7時過ぎからの強風と雪の影響で中止を考えたが、参加者は既に自宅を出発し当会場に向かっていたため、連絡を取り合いながら安全運転のお願い(子供達はウォークを中止して昼食のみ参加)
今日のウォークコース沿いにある地域資源の概要について説明。
①二枚橋小学校は1917(大正6,4,30)に大畑尋常小学校二枚橋分教場として民家を借りてのスタート、昭和22年に大畑町立二枚橋小学校創立、昭和27年に学校火災、翌28年に新校舎落成、1994(平成6,4,1)から現在の校舎で入学式を行い、平成25年3月で1113人の卒業生を送り出すが(団塊の世代が在学中は最大181人の在校生、一学級41人)、昭和60年を境に児童数が激減していくものの美術・音楽・スポーツに加え食を通した健康教育が行われてきた。
②二枚橋バイパスを語るには、江戸時代の人足による道路開通、昭和初期の乗り合いバス、昭和15年の旧大間鉄道竣工、昭和22年の釣屋浜・木野部間の隧道通行があって、1959(昭和34,10,3)年に木野部峠新県道が開設されている。しかし、急カーブ・急勾配で冬期間の安全確保が急務であったことから、1996(平成8)年から湯坂下までの4,1KMの課題解消に事業着手し、平成19年には延長90mのハーモニー橋が竣工し、平成25年・26年には延長168m・高さ30mの2号橋建設に本格着手する。
③二枚橋釣屋浜地域には遂ケ岳の噴火により広範囲に埋蔵されている砂鉄は、1654(承応3)から採掘され薬研方面にある高橋川「通称カナ山」に運搬された。1875(明治8)年頃から砂鉄採掘が盛んに行われ昭和34年頃まで続いた。(学校周辺・家ノ上・釣屋浜海岸他)
④折り返し地点周辺は平坦な高台で縄文後期の住居遺跡が発掘されている。
これら地域資源の概要を説明し終わった時間を見計らったかのように暴風雪が静けさを取り戻し、一般参加者だけでの雪山ウォークです。途中、木肌が赤いミズキ(小正月「女正月」に餅や団子をさして豊作や無病を祈願する)について説明後、1774年に勧請された西宮神社(漁業の守り神)をバックに記念撮影。
折り返し地点に向けて歩き出し所、真っ白い野ウサギの華麗なジャンプランニングを見ることができた(子供達に見せたかった)。縄文人の冬物語を想像しながら折り返し地点、3号橋付近で記念撮影
往復1,2kmの雪山ウォークでしたが、心地良い汗と差し入れの温かいコーヒーの香りと味は格別
地区公民館に戻っての昼食は子供達を含めた全員で、いただきます。
おにぎりは業者委託。ドンコ(エゾイソアイナメ)汁で体を温め、ガゴメコンブとスルメを使用しての松前漬のネバリで健康、そしてもう一品は自家製のイカ寿しで満腹。どれも女性会員の手作り。
満腹後のサプライズは、子供達による歌声「学校坂道」を熱唱。この坂道のぼったら ぼくの学校があります・・・・・・・・・・・・・・・・・ 家族的雰囲気のなかで親交を深めた雪山ウォークであった。
小さな小さな企画のなかにも、人があり・相手があり・歴史と自然などがあり記憶として心の片隅にでも残ってくれれば嬉しいものです。スタッフの皆さんご苦労様でした。
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