青森市、弘前市、五所川原市ほか下北管内から総勢31人の参加者に、自然が気遣い(前日までの雨)を見せてくれる中で予定通り実施することが出来た。
当会は平成23年8月に設立以来、人を大切に・汗を流し汗が報われ・そして実行することを心がけることが活動方針であることと、先人達がこの道を歩いた過去と現代社会を比較しながら何かを感じていただければとの企画趣旨を述べてのスタートでした。
津軽海峡の潮騒を聞きながら、旧大間鉄道7連アーチ橋(昭和14年に工事着手し、建設現場で事務を執った方が二枚橋におりその記録保存、毎年6月は朝日の絶景ポイントなど)を説明、歩いて旧二枚橋小学校跡地説明のなかでの魚道を見たいとの要望に応え、アメマスが遡上する施設と周囲の自然環境について説明~二枚橋地内の山側を走る二枚橋バイパス・二枚橋遺跡・大畑道遺跡を説明。
拡幅もされず、そのまま残されている「いにしえの道」への入口。
途中、湯坂の高台から大畑市街地、大尽山を見るも残念ながら桜の無い桜ロードをバックに記念撮影
古道沿いに3箇所ある地蔵様の内の一つである湯坂の地蔵様。
ここから、いにしえの道は急坂を下り県道へ、そして大畑川へと続いている。これより薬研への県道を歩き、途中、農道から鬱蒼たる森に守られた大畑八幡宮の奥の院とされる深山神社への参道を歩く。合掌し宮司からの歴史的な説明に耳を傾けた。
縄文時代から時代が下がって、しだいに寒冷化が始まると縄文海退といって潮位が下がり海がしだいに退き、それとともに大畑の人はもっと岸辺に近い安全な平地へと移動していったものと思われる。そこが、大畑発祥の地とも云われる栃ノ木・深山神社周辺。そこで海・川・山の恵みを頂いて安全な暮らしをしていたのだろうか。栃ノ木という地名。何故、大畑発祥の地と云われるここに栃の巨木が植えられたのか。それは飢饉時の非常食とするために他ならず。
今は無き栃ノ木の巨木、小学生時代は遠足コースの目的地であったのに。
程よい距離コースの企画から先人達の知恵と努力・強靭な体力そして自然の豊かさ・歴史の深さ・人のよさ・新たな出合と発見による心地良さなどの意見と、協働で維持管理しながら次世代に伝えていくことの大切さを、また、トイレ休憩などの課題に素直に耳を傾けながら次回に生かしいく努力を。
参加者の皆さん、貴重なご意見そして何か記憶に残って頂ければ幸いです。
ボランティアの皆さん、休日のなか誠に有難う御座います。
スタッフ一同、お疲れさまでした。
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