山・川・海が命の循環という恋心を抱いて出合う場を高台から見れる色見崎。1842(天保13)に津軽海峡を重要視した国がお台場として大砲を据付て試射した場所でもある。~茶水川(イワナ釣りの約束)・豊漁を願う稲荷神社そして孫次郎間海岸へ。
山の荒廃とともに泥砂の流入、公有水面埋め立てもあり磯場が縮小され少なからず生態系が脅かされている。かって、この磯場は戦前・戦後に渡って地域の人々が山から石を運んで好漁場を作った経緯があり、この場に足を運ぶ度に、先人達の生きるための汗・生きるための想いの空気が未だ漂っているような気がしてならない。
重要湿地に選定されている海岸にも人間活動が起因しての悪影響が出始めている。藻場の消滅によりコクガンの飛来が激減している。(H23「1471羽」・H24「338羽」・H25「156羽」)
脚がピンク色のセグロカモメが無数に羽根を休めている海岸なのだが、食を満たすには3箇所に仕掛けられた定置網からのこぼれ魚と人間生活からのおこぼれ・・・・?。海に食が豊富な時の鳴き声を久しく聞いていない。
明治の頃、この二枚橋に北海道と結ぶ起点となる港をつくる計画があったとか。以後、大畑と室蘭を結んでのフェリーが就航したものの赤字経営で消滅。
1654年頃から地域周辺の海岸・里山から盛んに砂鉄を堀り、地域の人々に職という恩恵があった。未だ海岸にはその名残の砂鉄があり、夏の陽射しを受ければ素足では歩けない程の熱さ。
身近な河川やj海岸の愛護精神から、青森県の水辺サポーター制度を活用して年6回程の草刈や清掃活動を継続中で、海岸に自生するハマナスが応援団です。
左右衛門沢河口から50メートル上流付近に、その昔、製塩遺構(石組窯跡)がある釣屋浜遺跡(故に塩釜神社あり)
地域の最終北側に多様な赤い岩が続く赤岩、中間点付近には海難事故で亡くなった人の供養と生活苦悩・感謝・海の道導となる赤岩大明神がある。
この地域に住みながら初めて見上げる赤岩。奇岩・巨岩を見上げ驚きながらの休憩。
休憩後は隣接集落へと続く旧大間鉄道、国防上の重要地点を守り下北一円の産業や農林水産業の発展を夢見た旧大間鉄道。この赤岩を突き抜けるために苦難の連続だった第一・第二トンネル工事。昭和22年国からトンネル通行権が与えられ、現在の下北交通の乗り合いバスが走った。子供の頃はトンネルも巨岩も探検と遊びの場であったが、木野部峠が県道そして国道へと昇格するなかで歴史にその幕を下ろした。
トンネル入口から釣屋浜方面に向かって、雪の鉄道敷地を歩いて今日の地域資源巡りを終えた。
海岸を歩いただけでも語り尽くせない物語、そして、この海岸・津軽海峡を一望しながら過去・現在・未来の人々はどんな想いで立ち・どんな想いを描くのだろうか。
「参加者の声」:今日は鉄道や海のことを学習した。木野部トンネルは電灯もなく歩くのはとても危険だったということを知りました。鉄道建設については、昭和18年に戦争が悪化して工事が中止になったと知ってとても残念だったと思いました。工事が続いて完成していたらもっと生活が便利になっていたんじゃないかと思いました。
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