2012年7月アーカイブ

津軽海峡の塩

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長慶天皇(1343~1394)の頃、今の釣屋浜と二枚橋は「上下釣屋」と呼んでおり、その後、南部藩代官が釣りをしに来たことから「釣屋浜」と名付けたとも言われている。

この地域は北西に絶壁の赤岩・背後も逃げ場のない地形に加え、高波による侵食が危惧されたことから昭和40年から42年には消波ブロック、昭和48年から49年にかけて護岸工事が施行されたが、近年の地球温暖化等による異常気象等の影響で、通常の低気圧でも消波ブロックを乗り越えてくる漂着廃棄物に流木、一度乗り越えた廃棄物等は堆積したままで周辺の景観を損ねている。

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一方で、入り込んだ砂がハマナスの群生を呼び込み国道側、海岸から見る人々の目を楽しませているのも事実で、又、下北交通の釣屋浜停留所から見る津軽海峡の海原・浮かぶ尻屋崎に北海道恵山岬・絶壁の赤岩に架かるハーモニー橋・旧大間鉄道停車駅予定地そして釣屋浜遺跡(塩窯)、これだけでも先人達の生きることえの想いが込められた地域でもあるし、活用することで新たな物語と人材が育つ可能性が十分にあるのでは。

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平成22年7月1日に釣屋浜遺跡として指定された塩窯遺構石組について現場確認中ですが、ミネラル豊富な津軽海峡の「塩」を塩窯で再現して見たいものだ。塩窯の現場近くに川あり。

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多摩川下り

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河口から源流まで85キロメートルの多摩川。所用で都内を訪れる度に川崎市多摩区中野島に滞在し多摩川を眺めていたがようやく河口を目指しての歩きが実現した。老若男女が歩き・走り・自転車で健康増進、通勤道、サッカー少年の応援隊ママチャリ軍、時折聞こえるトランペットの音色等など・・・限られた空間を有効利用している様を見聞きしながらの歩きがスタートです。

午前6時57分「中野島の渡し」1885(明治18)年、旧中野島村と対岸の旧下布田駅他2村で開設。対岸との往来、東京への野菜・梨・桃などの出荷、下肥の運搬などに利用、昭和10年代中頃に廃止。河口まで25キロメートル地点。

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登戸駅に向かう小田急線を見上げながら進む。

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午前8時30分 花火で御馴染みの二子玉川「二子の渡し」 二子と瀬田を結ぶ旧大山街道の渡し。かっては大山詣りや江戸からの物見遊山客で賑った。タバコ、鮎、炭など相州の物産も渡った。1925(大正14)年、二子橋開通で廃止。

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午前9時01分「下野毛の渡し」 江戸時代初期、洪水で下野毛村が分断され、飛び地が生まれた。対岸へ耕作に通うほか、神奈川と東京とを結ぶ交通にも用いられた。1955(昭和30)年に廃止。

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午前9時14分 河口まで15キロメートル地点(10km走破)

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程、歩けば2000(平成12)年に多摩川さくらの会等々力土手桜植樹記念で植樹されたオオシマザクラ通りで和みの休憩。

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午前9時40分「丸子の渡し」 始まりは江戸時代初期とされ、江戸と平塚の中原を結ぶ中原街道にかかる渡し。平塚のお酢や相州の物産も渡った。1935(昭和10)年の丸子橋架橋で廃止。

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河口から10キロメートル地点。

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川崎市街地が近づき、周辺に立並ぶ高層ビル・・・・・眺めているのはいいが住みたい?

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午前11時20分「六郷の渡し」 家康が架けた六郷大橋は元禄元年(1688)7月の大洪水で流され、以後、実に200年の間、渡し舟の時代が続き、舟をおりて川崎宿に入ると街道筋は賑やかな旅籠街

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午前11時34分 河口から5キロメートル地点で、遠くに船が見え海が近いことを。

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初夏かの照り付けで肌は赤く焼け、程よい疲れもあって川崎の潮風と香りは次回に持ち越しとし、川崎駅に向かって旧東海道を歩く。

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それぞれの渡し舟のなか、東海道ではどんな世間話が交わされていたのか想像するだけでワクワクするテクテク歩きであった。また、過去と現在そして未来に繋げる活動をしているNPOと川崎市の努力がテクテク歩きの私に何かを投げかけ伝えようとしていることを真摯に受け止め生かさなければ。

川崎駅構内で飲むアイスコーヒーの美味しさが心地よさを倍加させ、次回は河口か源流か。

 

 

 

保存・活用・取壊し

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大間ー函館を1時間40分で結ぶ津軽海峡フェリーは、経済や観光に医療の面で重要な役割を担い、往来する人々の人生の喜怒哀楽を乗せ続けてきた経緯もあり、この2013年には新造船が就航することで限られた地域間だけでなく海峡航路を介して幅広い心の交流が長く続いてほしいものだ。久方ぶりに津軽海峡のど真ん中で受ける海峡風は沿岸風とは違う香りを乗せて吹き抜けていた。

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第2次世界大戦中に津軽海峡防衛のための資材や兵員の輸送を目的に建設に着手した下北半島の大間線と、北海道函館市中心部から旧戸井地区を結ぶ全長30キロメートル区間の戸井線、この戸井線の情報収集を目的に函館市役所・北海道新聞函館支社・図書館巡りを。

国策で進められた工事は着手年度から中断時期までほぼ同じで、中止後はしばらく放置されたが昭和40年代にそれぞれ行政側に無償譲渡されている。

2008年に公益社団法人の土木学会がアーチ橋など戸井線の遺構を「選奨土木遺産」に指定しようとしたが、管理する市は「安全性と耐久性に不安がある」と断った経緯があったようですが、同様に当二枚橋地域にある7連アーチ橋についても土木学会の調査があったものの、地域住民には情報提供はなく、また、今年度、市の当初予算に計上された調査費・・・実施時期は・結果は・公表は・・・6月には橋桁に足場が組まれたのは・・・・・一方通行の行政対応に不満が。

今度の函館行きは、建設動機・多数の朝鮮人が建設に携わったことなどが類似していることから、幻の双子鉄道と言われているようで、特に汐首岬周辺に残るアーチ橋を見上げて「保存・活用・取壊し」について自分なりに考えてみたいものだ。

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