川に遡上して命をつなぐ役割を終えた鮭が自然に帰っていく姿を思い浮かべながら、厳寒の津軽海峡で鮭の定置網漁が続いている光景を目の前にしています。
11月からタコ漁も始まっています。お歳暮・刺身・しゃぶしゃぶ・冷凍保存・そして寒干しなど様々な用途で重宝されていますが、海中環境の変化なのか大型のものが数少ないようです。
タコの大きさにより「ゆで」る時間を変えることで、いっそう美味しく食することが出来る。
川に遡上して命をつなぐ役割を終えた鮭が自然に帰っていく姿を思い浮かべながら、厳寒の津軽海峡で鮭の定置網漁が続いている光景を目の前にしています。
11月からタコ漁も始まっています。お歳暮・刺身・しゃぶしゃぶ・冷凍保存・そして寒干しなど様々な用途で重宝されていますが、海中環境の変化なのか大型のものが数少ないようです。
タコの大きさにより「ゆで」る時間を変えることで、いっそう美味しく食することが出来る。
節季が立冬、小雪、大雪から冬至の時期に。それにしても強い寒気が入り込み連日のように雪・雪・また雪の日々が続きましたが現在は一休み中です。
早朝に除雪車が通り、その後、各家庭は二枚橋小学校児童が通学する時間帯に合わせての「雪かき」が始まります。この光景は永年に亘り続いてきましたが会社等に出勤する方にとっては大変なことで、それを補っているのが高齢者の方々です。
また、雇用環境の悪化等により地域を離れる方もあり、空き家が増えることで生活道路の確保と交通安全に悪影響を及ぼしている。さらに行政の財源不足なのか除雪作業に十分な予算配分の配慮が欠けている状況が続いているようです。「歩くための道の確保が優先」
一日に何回も着替えしての厳しい雪との付き合い。しかし冬至が過ぎ昼の時間が少しずつ長くなり確実に新年・新春に向かっている。そこに北国に住む人々の熱い思いと忍耐力そして優しさがある。
玄関から出られなかった程の降雪、連日の真冬日を過去に何度も経験してきた者たちにとっては高齢化という現実はあるものの、それ程の苦痛を感じないで今なお地域を支えている。
冬の厳しさがあってこそ春に、そして実りの秋につながる。前向きに生きたいものだ。
クリスマスイブの今日、娘から手作りのアレンジフラワー、ショートケーキとコーヒーで夫婦で乾杯。
1959年(昭和34)10月3日に木野部峠が新県道として開通後に、高台から北通りに延びる海岸線の美しさや津軽海峡の海原の先の北海道函館市そして恵山崎が見えることから北見台という名称が付けられたとか。
そして黒森山(420m)が見えます。山頂には「黒森大権現」と刻まれた石碑に(「享保16年」1731年)の年号、祠もあり木野部地区にある玉垂神社の奥宮で例大祭が8月19日、地域の氏子が管理している。また、1980年4月1日に県立下北少年自然の家として開所し、2008年4月1日からはむつ下北自然の家として市が運営を引き継いだ後も、黒森山は環境学習や生涯学習の場として利活用されている。
晴れた日には北見台に車を止め休憩、そして遠くに見える北海道函館市を眺めて見ては。かって県道から国道に昇格後は交通量も多く、この北見台の風景を一品に加え食堂が営業されていたが経済不況の影響か現在は休眠中です。
心地よい汗を流すコースは幾通りもあるが雨上がりの今日は国道(木野部峠)を選択しスタートです。二枚橋バイパス下北の架け橋(2号橋)の建設を見上げながら進めば上り坂に、この辺は「ムラサキシキブ」が毎年のように美しさを楽しませてくれていたが今年は一粒もなく寂しさを感じながらの歩き。1号橋(ハーモニー橋)付近の里山を見渡せば地形の影響なのか津軽海峡の風にあえて立ち向いそして耐えているかのように立ち並ぶ木、その陰で真っ直ぐ太く大きい木、ブドウのつるで成長が止められているような木、自然の猛威で曲木朽ち果てた木等、しかしどの木々も自然界の厳しさの中で、落葉した後も新緑・紅葉そして常緑の松や杉とは違う四季の美しい姿を見せてくれるので学ぶことの多い初冬の里山も最高です。
この木をみて、こうゆう時世のなかでも前向きに楽しんで踊っているかのように見えるが。
12月に入っても雪がなく暖冬の日々が続いた影響か、歩道脇の落ち葉を突き破って顔を出している「フキノトウ」、ゆっくり休み体力をつけて春の雪解けに這い出す姿を見たいものだ。
さらに進めば高い確率で「カモシカ」に出合うことができる。このカモシカは親子のようだ。縄張り区域内で厳しい冬を越す食料があるのだろうかと心配をしながら、近くで対面しても立ち去るでもなく周囲を見回しながら親子の会話を楽しんでいるようです。
里山から四季を通して学び・楽しみ・出合いで活力をいただくことが何よりうれしい。雪が舞い始めた
当地域の周辺一帯は二枚橋第二遺跡、二枚橋遺跡、涌舘遺跡などの縄文遺構を抱える八幡湯坂丘陵や、遠く佐藤ケ平を背に大畑地域の中心を流れる大畑川と茶水川、下狄川、中川目沢、三右衛門沢の河川が森と海をつなぎ、その海岸沿いに住宅が寄り添うように建ち並んでいます。
山と海が出合う大畑川河口と各河川、広がる津軽海峡の漁場と漁港そして市街地・集落と大畑の原郷を見ることができるのが「色見崎」です。出合いと恵みを確認できる場所でもあります。
写真手前が色見崎、その後方には赤い肌の奇岩・巨岩が並び平成16年11月29日に青森県ふるさとの森と川と海の保全及び創造に関する条例により保全地域として指定になっている「赤岩」崎です。また、その後方には風間浦村の入口付近に突き出る「甲」崎が見える。この崎を境に波、風等の自然条件が違うと漁師は言う。
海の色、雲の流れを目で追い、磯の臭いを感じ、潮風に吹かれて過ごす時間は最高の贈り物です。
当地域の東南端に位置する色見崎周辺に戦後、北陸や津軽庄内方面からイカ漁のため移住して来た人々や、分家の人々が家を建て生活するようになったが本家筋や村代々の古い家の人達から見ると、畑仕事はやらなくとも良いし地域の行事及び他人との交流も自由であったので気楽だとうらやましがられ、誰言うともなくこの辺を「気楽町」と呼ぶようになったが、現状は高齢化・経済環境等の変化により地域を去る人も現れ、この呼び名は風化している。
しかし、この地域に住んでいる人々にとっては急勾配で危険な坂道でも生活には欠かせない坂道で、「ほのき坂」と呼ばれています。地域の長老を訪ね名称の由来を聞いてみたが不明であった。
二枚橋バイパス1号橋(ハーモニー橋)から眼下の津軽海峡を、高所恐怖症ぎみの自身が地球の丸さと透明感に誘われ足を止めて見入っています。
沖合いでは定置網での鮭漁が、その鮭が海岸寄りを回遊でもしたらエメラルドグリーンに銀色の魚体が見えるだろう、この透明さでは。
見える砂場はヒラツメガニの生育場所、また、岩場はワカメ・コンブの成長に適しておりウニ・アワビ等の漁業資源の宝庫である。この水質と山から川そして海へと栄養源が注ぎ込まれるサイクルが、次世代に確実に引き継がれていくことを願いたいものだ。
さっそくアワビの差し入れがありました。久しぶりに休暇がとれ帰郷した娘にアワビのバター焼き。
雪の無い12月に入って日の出時刻の6時45分過ぎに、身震いする程の冷気を感じながら津軽海峡と向き合っています。
津軽海峡の海面や糠森平坦磯を朱色に染めながら東南側に位置する色見崎から顔を見せはじめた太陽、また空気中の温度より海水温度が高い場合に生じる蒸気雲が幻想的に揺れ動き、その中を海の男達が動力音を響かせ漁場へと突き進んでいます。
この時期に毎年のように繰り返される美しくたくましい光景は、見る側の体調や心の持ちようで感じ方が様々なのでは。自身にとって自然は常に前向きに物事を考えそして行動することを教えてくれる。
「コクガン」とのうれしい再会です。
グリーンランド、北アメリカの極北部で繁殖し冬季に北海道の東部や下北半島北部の沿岸に飛来します。再会の今日は朝日を浴びながら、しかも干潮の時間帯でもないのに自宅裏の海岸に並んでの顔見せです。これから来春の5月上旬まで体を休め十分な栄養補給をしながら、どんな思いやり・やさしさ・絆を見せてくれるのか楽しみです。
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