この坂道を下れば自宅がありますが出張・研修・旅行等で離れ帰宅するさえ、この坂の上で津軽海峡の風で運ばれる潮の臭いと、歴史の重みを感じさせてくれる旧大間鉄道のアーチ橋、地域民の守り神の大杉、そして四季折々の顔を見せてくれる原風景が飛び込んで来たとき、帰ってきた安心感と故郷を実感する特別な思いがある坂道です。
この坂道の周辺で暮らす地域の方々も、日々この坂道に立ち津軽海峡を眺めては漁の安全と大漁を願い、また遠く離れて暮らす家族を思いやっているようです。
この坂道を下れば自宅がありますが出張・研修・旅行等で離れ帰宅するさえ、この坂の上で津軽海峡の風で運ばれる潮の臭いと、歴史の重みを感じさせてくれる旧大間鉄道のアーチ橋、地域民の守り神の大杉、そして四季折々の顔を見せてくれる原風景が飛び込んで来たとき、帰ってきた安心感と故郷を実感する特別な思いがある坂道です。
この坂道の周辺で暮らす地域の方々も、日々この坂道に立ち津軽海峡を眺めては漁の安全と大漁を願い、また遠く離れて暮らす家族を思いやっているようです。
つい先日の初雪後は11月にしては暖かい日々が続いています。
暖かさに誘われ里山を歩けば、マツとスギの緑だけが目に入る中で落葉の低木に絡まるように枝を伸ばし鮮やかな彩りを見せています。(4月から6月にかけ白い小さな花をつけ、秋に葉が落ちると黄色い実が、そしてこの時期に外皮が3つにはじけ中から鮮やかな朱色の丸い種が現れます。)
生花やリースの材料として人気があるようで、自宅では玄関や居間に飾ることが多い。
花言葉は「大器晩成」:秋が深まって周りの花が途絶えた頃に、ひときは鮮やかな実なのでこんな言葉になったとか?
今回の里山歩きで、野うさぎが目の前を走り去るのを見入ってしまい撮影出来なかったことが残念ですが、また、遭遇する楽しみがあります。
この坂道は、昭和22年4月1日に大畑町立二枚橋小学校が創立されてから平成6年3月31日まで、通学路兼地域の生活道路として利用されてきた。
坂道はコンクリートの階段式と雨水で削られ凹凸の道が並列して、現在、花壇として使用されている部分も道で国道に直結していた。少なくとも一日に登下校に加え帰宅しての昼食と3度は歩いていた
この坂道を様々な思いで歩いた卒業生は900人を超えている。自身にとってこの坂道こそ学びの出発点であり、生きていく上での礎に触れることもできた思い出多い坂道です。
現在は児童の元気な声は聞けないが、避難場所への安全対策も実施された坂道に変わった。(旧学校の校庭が災害時の避難場所兼憩いの場となっています。)
工事が順調に進んでいるようです。(橋梁工事のための取り付け道路)
工 期 平成21年9月26日から平成22年3月25日まで
工事名 橋梁整備工事 1脚
請負額 7,749万円
発注者 青森県 下北地域県民局 地域整備部
請負者 大畑振興建設株式会社
当地域は海岸近くまで山が迫り川の字の如く下狄川・中川目沢・三右衛門沢の3本の川が津軽海峡に注ぎ、集落は沿岸沿いに建ち並んでいる。こんな地形だからこそ坂道が存在するのでは。
「坂」・「坂道」は単に傾斜のついた場所を指すだけでなく、人生においての好不調を表したり困難な局面を形容する言葉として用いられる場合も多いかと思う。若い時は何の苦も無く歩き・走り・自転車を乗りまわしたものだが、歳月を積み重ねることで背負った数々の責任の重さが加わり足の動きに陰りが見え始めてくる。反面、走り続けたことで背負った重さから開放されれば、ゆっくりと地域の原風景を見ながら日々変化する津軽海峡の風に吹かれながら歩く楽しみを坂道は教えてくれている。
この坂道(1)は昭和51年に食料自給向上のため地域が大畑町農業委員会に農道整備の陳情書を提出したことが口火となり、以後、老朽化した二枚橋小学校新築が後押しすることにより、平成元年に着手し平成2年に工事完了している。
現在この坂道を利用する人は、農地耕作、二枚橋小学校通学路、先祖の埋葬・供養する共同墓地に地蔵堂と往来する人は数多い。
津軽海峡に吹き荒れる風の通り道になっていて、立木が倒れ建物の屋根が剥がされた坂でもある
この坂道を上がれば「家ノ上」という地名に広がる農地があり、かっては砂鉄が採掘され、縄文の臭い漂う家ノ上遺跡の発掘場所でもある。現在は二枚橋バイパス工事で地域に出入りする道路建設が進められていて、今後とも利用が拡大し重要な坂道となるだろう。
低気圧の影響で断続的に降る雨の切れ間の津軽海峡に、過去に見たこともない位置に自然の織り成す彩色を見せてくれた虹。撮影しながら手が震えただ感動を有難う。
虹の橋の端が地面に接する所には黄金が埋まっているという言い伝えと、その橋の向こうには理想郷があるとか。どんな架け橋でどんな理想郷があるのか見てみたいと思うのは自分自身だけだろうか。今日の虹の端は津軽海峡の海面、その下にサケの群れが回遊していることを願いたいものだ。
虹は太陽の光が空気中の水滴によって屈折、反射されることで出来る気象現象で、今回の虹は赤が一番外側にできる「主虹」と一番内側にできる「副虹」が織り成す形状に、7色ではなく無限大の色が数分の間に連続的に変化しているように見えたが。
津軽海峡は日々、季節ごとの素顔と風を感じさせながら変幻自在に見せてくれる。是非一度お立ち寄りをお待ちしています。
二枚橋釣屋浜の地域内には、土石流危険渓流に指定されている下狄川に「二枚橋S33.3竣工」・二枚橋と釣屋浜の分岐点にあたる中川目沢に「砂鉄橋S37.3竣工」・土石流危険渓流に指定されている三右衛門沢に「釣屋浜橋」と「赤石橋S33.10竣工」があり、どの橋も厳しい自然条件に耐えて地域と人をつなげてきた。
平成8年度から物流効率化の支援・個性ある地域形成・災害対策等の目的で二枚橋バイパスの事業家がスタートした。既に木野部峠が供用を開始し1号橋が完成、2号橋「下北の架け橋」は工事継続中、そして2009「H21.9.26」年から下狄川にある砂防ダム上流に、地域に一番身近な3号橋の建設工事がスタートした。2号橋同様どんな姿を見せてくれるのか楽しみです。
2号橋の延長は78.5メートル・高さ15メートル。定期的に足を運び情報収集しながら記録保存と故郷の在り方を考えてみたい。
一般国道279号は北海道函館市を起点とし、青森県上北郡野辺地町に至る延長約119kmの幹線道路である。うち二枚橋バイパスは大畑町木野部から大畑町湯坂下までの4,1km区間の急カーブ・急勾配の解消と冬期間の安全で円滑な交通を確保することが目的で1996(H8)年に事業着手し、既に木野部峠側は供用を開始している。また、二枚橋バイパスで計画された三つの橋梁のうち木野部側に近い1号橋(ハーモニー橋)は2004(H15)年着工・延長90,7m・建設予算約5億円を投入して2007(H19)に竣工し供用を開始している。
そこで、今回から現在建設中の「2号橋」が今後「下北の架け橋」として地域資源・観光資源・経済物流・文化交流等の役割を担ってどんな全容を見せてくれるのか楽しみであるが故に、定期的に調査をし記録保存する。(2号橋:2007「H19]着工・延長168m・高さ30m)
現在の全容です。完成が楽しみです。
現在は釣屋浜の住宅地付近にある赤石橋の西側で橋桁工事が実施されている。
二枚橋地区公民館の山側に急傾斜対策として、釣屋浜方面に向かって高度な技術力を駆使して頑丈に石が積み上げられている。
石が積み上げられた部分の一角が「釣屋浜駅」の予定地で、今は原野状態で面影がないが存在していたら農林水産業や人的交流等への波及効果があったろうか。
塩釜神社方面を左側に見て歩くと国道279号線に、ここにも一連のアーチ橋があったが交通に支障をきたすことから取り壊しされ橋桁のみが残されている。
釣屋浜の住宅地と急傾斜地の間をすすみます。
赤い肌の岩山に木野部トンネル入口が見えますがコンクリートで閉鎖されています。この建設にどれ程の苦難があったのか、しばし黙祷です。
左側には津軽海峡が広がっています。完成されていたら車窓から磯の臭いとアワビ漁の風景が見られたのに残念です。
今回、この区間を歩いてアーチ橋以外に時の流れと環境の変化にも耐え、歩んだ歴史の重みを語りかけ証明しているものがあった。民有林と鉄道用地の境界標識として表面を少し焼き腐食防止策を施した「枕木」です。
鉄道跡地にはこんな記憶が残っています。
小学生時代は:田植えの時期になれば友達数人で弁当を背負い竹ざおにバケツを持って、湯坂下地 域にあった沼でのフナ釣りに何度も出かけた「冒険の道」であった。夏はイカ釣り漁のはしけを終えたあと父親が舵取りする船に乗り、湯坂下岸壁からこの道を父親と歩いた「絆の道」であった。秋は大畑祭りに友達ときんぱ食堂で支那ソバを食べ、帰りは歩きながらブドウを食べた「満腹の道」であった。
中学生時代はスクールバスも無く毎朝6時50分に自宅から兎沢の中学校まで歩いた「語りの道」。
高校時代は朝一番のバスで大畑駅に行き、帰りは部活を終え最終列車で帰ったが防犯灯もない「獣道」を空腹と不安のなかで帰宅した。
大畑へは多少時間がかかるが孫次郎間地域を通れば行けたのに、何故か悪路、不安を知りつつも歩き続けたのは、この道を通して故郷が「つながり」「伝わり」「むすび」ついていたのではとの思いを新たにした歩きだった。
歴史を証明する地域遺産であり地域資源でもある大間鉄道を、風化させることなく保存と活用を念頭に次世代に引き継ぎたいものだ。
下北地方北通りの産業発展・教育・文化等の交流に欠かせない交通網整備のなかで、急カーブ、急勾配の木野部峠越えが最大の難所でした。
先人達は歩き、馬、乗り合いバス、そして鉄道実現への夢を膨らませたが、昭和18年に時代に翻ろうされた形で工事が中止となり再開されることなく放置されたままである。
以後、鉄道用地の一部は国道279号線・公共施設の建設・生活道路代替地として利用されている。
遠く真正面に見える山は大尽山(828m)です。鉄道用地がそのまま国道として利用されている部分で左側は湯坂下地域への道です。かっての鉄道用地は撮影している位置くらいの高さがあり、画像中間点あたりには大きな窪地があり沢水が絶えることなく流れていたし、傾斜面は削られたままで落石・悪路に加え道幅の狭さが恐怖感を増幅させていた。
二枚橋方面に向かって歩けば左側に大畑中央公園(野球場、テニスコート、プール、陸上競技場)がありますが、この辺一帯は縄文生活が漂う涌舘遺跡や二枚橋遺跡が発掘された場所です。
さらに歩けば孫次郎間集落に流れる茶水川を超え大畑道地域に入ります。国道左側の住宅裏は農地が広がり食料供給地でもあり、二枚橋遺跡発掘の場所でむあります。
津軽海峡が見えて来ました。鉄道用地は白い住宅方面に向かっています。この白い住宅は地域内の生活道路環境整備のため代替地として対応した部分です。
白い住宅の裏手を300mほど歩けば7連のアーチ橋が姿を見せます。現在は平坦で通り抜け出来ないよう鉄柵をしているが潮風の影響が心配です。
かってのアーチ橋はコンクリートの山を上がり下りしながら大畑方面に出かけたが、安全対策から埋め戻しした経緯がある。しかし年月を重ねる度に老朽化が著しく「取り壊し」・「保存」かで議論されたが、ここで暮らす住民の安心、安全が担保されない行政の取り組みに憤りを感じる。
アーチ橋の下は下狄川が流れ、にこにこ親水広場もあります。歩けば二枚橋住宅と急傾斜に挟まれた鉄道用地、この斜面は幼少の頃はスキーを楽しんだ場所です。
300mほど歩けば中川目沢に1連のアーチ橋。その先は二枚橋小学校通学路及び農道のため盛土部分が削られている。その先には昭和48年に社会教育の拠点として建設された地区公民館と防災対策のための消防屯所がある。
キノコが食べたくなって里山を流れる沢沿いを歩いてみた。
最初は走るイワナの姿に目を奪われていたが入山した時間帯を考え採取モードに。寒気がするくらいの冷気を感じながら歩くと、ミズナラの風倒木が点々と見られる急斜面に「ムキタケ」です。
里山でのイワナ釣りや山菜採りも楽しいが、キノコに出合えた喜びは格別で躍りたくなるような気分です。「ナメコ」です。
ムキタケとナメコの採取はイワナの産卵と黄葉が重なる時期だけに、自然風景・出合い・味を独り占め出来ることから楽しみも倍増する。
何も時間をかけ国有林の奥深くまで出かけなくても、里山にこそ自然の恵みの風が漂っています。今こそ里山を見直す時期に来ているのではないかと思う。
2010(平成22年)は自己所有地の荒れた山林の除間伐を実施し、その間伐材を原木としてキノコ菌の植え付けてを計画中です。
地域内のどのコースを歩いても「水」と出合うことが出来る。その一つがが「三右衛門の滝」です。
人間の生存に欠かせない食生活を支える豊富な水環境の前途に、不気味な危機が迫っているように思えてならない。国策で推進してきたダム問題等に加え、身近では水道料金の値上げ、しかし水と出合うと恐さの中にも安らぎもあることを体が知っていることから、自然に立ち止まり流れ落ちる水を見入っている。
四季折々に自然だけにしか出せない色彩を見せてくれる場所で、山もみじ・かえで・ナラノ木等の広葉樹がそれぞれの色をだし道行く人を楽しませています。
すぐ側には白い使者が待機しています。芽吹く時まで静かに休眠して下さい。
真っ赤な傘の下で晩秋の日溜まりを楽しんでいます。
この先に何が見えますか。私達が命をつなぐことができた場所です。
室内の灯りを消して、ゆれる漁り火を見て杯を酌み交わすもよし、落ち着いた気分で詩を書くもよし。
久しぶりに多くのイカ釣り船、大漁であること願う。津軽海峡 最高です。
スリムボックス対応の「ティシュBOXケース」です。
止め金具のところには「くろもじの木」をカットして飾りも兼ねての商品ですので、居間・寝室などに置いて使用してみてはいかがでしょうか。
(1個:560円)
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