社会貢献

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津軽海峡を臨む海岸段丘にある大畑道遺跡(縄文時代後期3300~4500年前)と二枚橋遺跡Ⅰ(縄文時代早期9000年前)が位置する通称アイヌ野の中程を、北通りとの人の往来を見届けた「いにしえの道」西側に寛政9年(1798)地元大畑町で海商をしていた堺氏が、現世利益と桧山に働く杣夫の安全とすでに亡くなった人々の冥福を祈って建立された「地蔵坐像」が鎮座している。

当時の二枚橋地域の生活環境は背後の三右衛門沢山などで山仕事をして生計を立てていたが、連年の凶作で一揆まで引き起こす世情のなかで山から海へと糧を求め、津軽海峡を渡り蝦夷地への出稼ぎ移住へと変化し現在に至っている。

長々と人々の生活を見守り続けてきた地蔵様を、心ある方々が春秋は諸願成就・夏は死者保養のため周辺の草取り・供物・衣替えを続けてきたが、多様化rと高齢化の現代社会環境では引き継ぐ受け皿が見えない。しかしながら誰に言われたでもなく地域を想い・人を想いながら社会貢献してきた活動を見過ごすことは出来ない。

関わった方々の想いと汗に感謝しながら平成30年度から「ふるさとが大好き会」が意思を引き継ぐ。

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