2016年4月アーカイブ

源が風

| コメント(0) | トラックバック(0)

下北発展の夢を乗せ国策で進めた大間鉄道の建設は、昭和18年12月に状況悪化のため中止になった。以後、昭和22年から苦難の連続だった木野部トンネルは乗合いバス路線として活用されたものの社会経済文化情勢の変化と維持管理の困難さがあり、関係自治体に施設が移管された。

昭和60年以降には安全管理のために釣屋浜・木野部側の入口がコンクリートで塞がれた。以降、懐かしの場所を訪れることはなかったが「見たい・伝えたい」の思いが赤い奇岩が立並ぶ真下に足を運ばせた、現状は30cm程の道とはいえない道があり、急傾斜にはロープの取り付けもあった。

第一トンネル入口(むつ市大畑町釣屋浜側)約430メートル

   P1040718_500.jpg

第一トンネル出口(急傾斜の崩落)

   P1040719_500.jpg

第一トンネルを抜けると約100m程は津軽海峡を見渡せることができ、第二トンネル入口に

   P1040720_500.jpg

第二トンネル坑内~第二トンネル中間点に向かう(通称メガネ:704m)

   P1040722_500.jpg

第二トンネル中間点(通称:メガネ)

   P1040704_500.jpg

   P1040706_500.jpg

小学校高学年・中学・高校時代の遊び場所(魚釣り・素もぐり・水泳など)であった第二トンネル入口付近は休憩・昼飯場所でもあった。遊び疲れた後に腰を下ろし空を見上げながら、流れる雲と空気・水・一つ一つ異なる奇岩の顔などに何かの気配を感じながら、エネルギーをいただいていたような気がする。その源が「風」だったのでは。

握り飯・玉子焼き・漬物に海の幸、それで十分であったし、側には気心の知れた仲間がいた。これが私が育った「ふるさと」です。

   P1040723_500.jpg

年内には第二トンネル入口から中間点(通称:メガネ)までトンネル内を歩いて見たい、また奇岩沿いに海側を歩けるのかな。あの当時の昼飯を背負って。

 

自然の表と裏の顔

| コメント(0) | トラックバック(0)

地震列島にまたもや甚大な被害をもたらした「熊本・大分地震」。行政まひ・避難所、物資不足に加えて精神的ストレスが深刻化している中で、被害に見舞われた皆様にはただお悔やみと、お見舞いそして激励の意を表し再興を遠くから祈ることしかできない。

4月の風は低気圧や寒冷前線の影響で、東西南北どちらかともなく強さを増して暴れ回り家屋損壊や倒木が相次ぎ、けが人や交通機関の乱れが下北地方を襲った(最大風速が統計開始以来最大を記録した大間町など)

翌日、静まりかえった津軽海峡に何事もなかったかのように金色の道をつくりながら昇る朝日を見ながら、自然の表と裏の顔を焼き付けています。

   P1040682_500.jpg

少雪で早い春の到来かと思っての里山歩きでしたが、朝夕の寒さに耐えている草花が数多くあり、その中でも元気に春の香りを漂わせている「ボンナ」。待ち遠しかった季節の始まりが。

   P1040717_500.jpg

 

 

 

 

最近のコメント

最近のブログ記事

2016年5月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31